脳の中で情報が更新・消去されるメカニズムは不明だった
北海道大学は6月11日、前頭葉機能検査で広く用いられている「N-back課題」を改変してサルに訓練し、脳活動を解析することで短期記憶の操作に関わる神経メカニズムの一端を明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院医学研究院の澤頭亮助教と田中真樹教授(脳科学研究教育センター兼任)らの研究グループによるもの。研究成果は、「Communications Biology(Springer Nature)」にオンライン掲載されている。

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作業記憶(ワーキングメモリ)とは、私たちが日常生活の中で情報を一時的に保持し、必要に応じて使ったり、不要になった情報を取り除いたりする能力で、大脳の前頭葉にその首座がある。この機能は、例えば「会話中に相手の発言を一時的に記憶して適切に回答する」「料理中に並行して行っている作業を覚えておいて手順を切り替える」などの場面で必要となる。
しかし、この短期記憶の更新や消去が上手くできなくなると、作業や思考の切り替えが難しくなり、柔軟な行動がとれなくなる。実際、統合失調症や強迫性障害、自閉スペクトラム症など、多くの精神疾患や発達障害で、このような記憶の操作に困難がみられることが知られている。
これまで、脳の中でどのようにして情報が更新・消去されるのか、その仕組みはほとんどわかっていなかった。そこで研究グループは今回、この疑問に答えるために、霊長類を対象とした独自の実験系を用いて、脳内の神経活動を詳しく調べた。
サルが課題試行中の前頭前野の神経活動を計測し、記憶保持のメカニズムを調査
研究では、心理学実験で広く使われている「N-back課題」を改変し、サルに訓練した。実験動物は、文部科学省ナショナルバイオリソースプロジェクトから提供を受けたものを使用した。同課題は、一定間隔でフラッシュする視覚刺激の位置を順に記憶し、合図によって1つ前または2つ前に出た刺激の位置に眼球運動(サッケード)するというものである。
さらに、サルが課題を行っている間に額のすぐ後ろにある前頭前野の神経活動を1細胞レベルで計測し、どのような神経が記憶の保持や更新に関わっているかを調べた。また、神経活動と行動の因果関係を検証するため、記録部位にごく微弱な電気刺激を与える実験も行った。
記憶ニューロンだけでなく消去ニューロンが短期記憶に基づいた行動の最適化に重要
記録された神経細胞のうち、多くは特定の位置情報を一時的に保持している間に活動し、これらは「記憶ニューロン(memory neurons)」と名付けられた。一方で、ある刺激位置の記憶が不要になったタイミングで一過性に活動する新しいタイプの神経細胞も見つかり、「消去ニューロン(extinction neurons)」と名付けられた。
機械学習を用いた解析により、これらのニューロンが89個あれば、動物の行動を90%正確に予測できることが分かった。さらに、適切なタイミングで記録部位に電気刺激を与えると、特定の刺激位置の記憶だけが「脳から消去された」かのような行動が観察された。
これらの結果から、記憶ニューロンだけでなく、消去ニューロンが短期記憶に基づいた行動の最適化にとって重要であると考えられる。
精神・神経疾患に伴う前頭葉機能障害の理解と治療法開発に寄与する可能性
今回の研究で見つかった消去ニューロンは、短期記憶の内容を必要に応じて更新する神経機構の一端を担うと考えられる。これにより、記憶そのものができなくなるだけでなく、記憶を柔軟に操作・選択・管理することができなくなる精神疾患の病態の解明が一歩前進すると期待される。
「今後は、こうした記憶操作の神経機構に非侵襲的に働きかける方法(例えば、脳刺激法や神経修飾技術)を開発することで、記憶や思考の過剰な固定や切り替え困難に苦しむ患者に対する新たな非薬物療法の創出につながる可能性がある」と、研究グループは述べている。
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