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「遅筋」の特性を持つ培養筋肉を作製、フレイル予防法の開発に期待-量研ほか

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2025年08月25日 AM09:10

従来法では遅筋の特性を持つ培養筋肉が作製できず、筋機能改善法の開発が困難だった

量子科学技術研究開発機構は8月8日、体内の筋肉に近い環境で細胞を培養できるゲル材料を独自の放射線加工技術で開発することにより、「遅筋」の特性を持つ培養筋肉の作製に成功したと発表した。この研究は同研究開発機構(QST)高崎量子技術基盤研究所先端機能材料研究部の濱口裕貴博士研究員、大山智子上席研究員、大山廣太郎主幹研究員、田口光正プロジェクトリーダー、東京都立大学人間健康科学研究科ヘルスプロモーションサイエンス学域の眞鍋康子教授、藤井宣晴教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「Scientific Reports」オンライン版に掲載されている。


画像はリリースより
(詳細は▼関連リンクからご確認ください)

筋肉は、ヒトの身体を動かし健康な生活を送るために欠かすことのできない組織である。特に、姿勢や日常動作を支える「遅筋」の筋量や筋力が不活動や病気などによって落ちると、さらなる疾患の発症や運動機能の低下を招き、健康寿命が短くなることがわかってきた。厚生労働省が推進する「健康日本21」では、健康寿命の延伸を目指して筋肉の維持や増強につながる取り組みが期待されている。また、内閣府が公表した「地域の経済2019」では、健康寿命が長いほど1人当たりの医療費が抑制されることが報告されている。こうした背景のもと、健康長寿社会の実現を目指し、身体を動かし健康な生活を送るために不可欠な筋機能低下の予防や改善に向けた研究開発が盛んに行われている。

遅筋の筋量や筋力の低下を予防・改善するための薬剤や機能性食品、再生医療などの研究開発には、人工的に筋肉細胞を生育し、遅筋の特性を持つ培養筋肉を作製することが必要だ。しかし、従来のプラスチック製の培養皿上で生育した筋肉細胞は遅筋の特性を示さず、これらの研究開発に用いることは困難だった。遅筋の特性を持つ培養筋肉が作製できれば、遅筋の筋機能の低下を予防・改善する研究開発が大きく進展すると期待される。

身体の中の筋肉と同様の環境で培養できるゲル材料を開発

研究グループは、培養筋肉が遅筋へと誘導されない理由として、従来用いられているプラスチック製の培養皿の硬度が約100万kPaという筋肉とはかけ離れた硬さであること、また、筋線維のように整列した凹凸構造がなく平坦であることに原因があると仮説を立てた。そこで今回の研究では、身体の中の筋肉と同様の環境で培養できるゲル材料を開発し、同仮説の検証を行った。

筋肉の柔らかさ等を模倣したゲル材料を作製、そのゲル上でマウス由来の筋肉細胞を培養

身体の中の細胞は、タンパク質を主成分としたゲルに囲まれて活動している。この体内環境を模倣するにはタンパク質の分子同士をつなぎ合わせ(架橋)、ゲル材料を作る必要がある。しかし、従来の技術ではタンパク質が架橋の過程で変性してしまうという問題があった。QSTでは、放射線が引き起こす化学反応を活用し、タンパク質を変性させずに架橋してゲルを作製する技術を開発してきた(特許第7414224号、特許第7658611号)。

同技術は、タンパク質の水溶液に放射線を照射し、水の分解物である水酸化(OH)ラジカルをタンパク質に反応させることで架橋する方法だ。この方法により、タンパク質を変性させる熱処理や化学薬品を用いることなく、細胞に働きかけるための分子構造を保ったまま、タンパク質ゲルを得ることができる。さらに、放射線の照射量を調整することで架橋度を制御し、ゲルの柔らかさを精密に調整することが可能だ。また、型の中で架橋を行うことで、ゲル表面にµm単位の微細形状を加工することもできる。生体内のさまざまな組織によって異なる柔らかさや形状を模倣できるため、細胞にとって生育に適した環境を提供することができるようになりつつある。

同研究ではこの技術を応用し、筋肉に最も豊富に含まれるタンパク質であるコラーゲンを精製したゼラチンを成分として、筋肉の柔らかさや線維形状を模倣したゲル材料を作製し、そのゲル材料上で筋肉の研究で最も一般的に用いられているマウス由来の筋肉細胞を培養した。

身体の中の筋肉でも特に柔らかい環境が、筋肉細胞を遅筋に誘導

身体の中の筋肉の柔らかさは正確に計測することが難しく、10~100kPaと幅のある報告がされている。そのため、どのくらいの柔らかさが培養筋肉に適した条件か明らかではなかった。同研究では10~100kPaの間で異なる柔らかさを持つゲル材料を作製し、培養筋肉の生育に最適な柔らかさを探った。

その結果、従来用いられてきた約100万kPaという非常に硬いプラスチック製の培養皿と比べて、ゲル材料で生育した筋肉細胞は収縮運動にかかわるMYH7やエネルギーの産生にかかわるミオグロビンのような遅筋に特徴的な遺伝子の発現量が上昇し、特に最も柔らかい10kPaのゲル材料で活性化が最大となった。つまり、身体の中の筋肉でも特に柔らかい環境が、筋肉細胞を遅筋へと誘導することが明らかになった。

開発したゲルを用いることで、遅筋の特性を持つ整列した筋肉細胞の作製が可能に

さらに、同研究では筋肉の柔らかさの模倣に加え、筋線維を凹凸構造で模倣したゲル材料の上で筋肉細胞を生育した。生育した筋肉細胞の太さはおよそ10~40µmになる。そこで、筋肉細胞より細い3µmから細胞より太い50µmまでのさまざまな幅を持つ凹凸構造を形成したゲル材料を作製し、培養筋肉の生育に最適な構造幅を探った。その結果、培養皿や表面が平坦なゲル材料では筋肉細胞は向きが不均一だったが、凹凸構造を形成したゲル材料は、構造の幅に関係なく、筋肉細胞を筋線維のように整列することが確認された。

以上の成果を組み合わせ、筋肉の柔らかさと線維形状を同時に模倣したゲルを用いることにより、従来の培養皿では実現できなかった、遅筋の特性を持つ整列した筋肉細胞の作製が可能となった。

フレイルの予防・改善だけでなく、食用培養肉の品質向上などにも役立つ可能性

筋肉の柔らかさを模倣したゲル材料上で生育させた遅筋モデルの培養筋肉は、さまざまな研究開発への展開が期待される。今後、未病医学であるフレイルを予防・改善する運動方法などの研究や、薬剤や機能性食品成分の開発・評価などを通じ、この新しい遅筋モデルは健康な体づくりに役立つ研究開発の効果的なツールとして、健康促進やQOLが向上した健康長寿社会の実現に貢献することが期待される。さらに、細胞の向きが揃っている遅筋モデルは多岐にわたる応用が期待される。例えば、遅筋の欠損や損傷部位を代替したり、治療したりする移植医療への活用が挙げられる。また、筋肉細胞を用いた食用培養肉の研究においても、整列した遅筋モデルによって、味や食感の再現性が向上し、食肉としての品質がさらに高まることが期待される。

現在、身体の中と同じような環境で細胞を生育できるゲル材料を最適化し、より遅筋機能を発達させた培養筋肉を作製するための研究に加え、筋肉以外の発達した培養組織や培養臓器を作製する研究も同時並行で進めている。より人間に近い培養組織・臓器ができれば、人体の仕組みの解明や、病気や老化の予防や治療方法の開発に向けた効果的な研究開発を実施できるだけでなく、実験動物の使用を減らすことにもつながる。「研究開発成果の飛躍的な進展と早期社会実装に向け、QSTは、生体模倣システム創製研究アライアンスを通じて産学連携・医工連携の推進に取り組んでいる」と、研究グループは述べている。(QLifePro編集部)

 

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