微量の匂い物質が嗅覚受容体を活性化する仕組みは不明だった
東京大学は5月15日、細胞外マトリクス糖タンパク質「フィブロネクチン」が嗅覚受容体の匂い応答を促進することを発見したと発表した。この研究は、同大大学院農学生命科学研究科の東原和成教授、大学院医学系研究科の近藤健二教授らの研究グループと、味の素株式会社の伊地知千織氏の共同研究によるもの。研究成果は、「Science Advances」に掲載されている。

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嗅覚は、空気中に存在する低濃度の匂い物質を、高感度で感知する感覚システム。鼻腔に取り込まれた匂い物質は、嗅上皮を覆う嗅粘液に溶け込み、嗅神経細胞の繊毛上の嗅覚受容体(OR)に結合し、細胞内cAMP産生を通じて電気信号を引き起こす。しかし、空気中のpptからppbレベルの低濃度の匂い物質が、μMオーダーの感度しか持たないORをどうやって活性化できるかは謎だった。
これまでに、嗅粘液分泌障害による嗅覚感度低下が報告されており、嗅粘液に感度を調節する細胞外因子が存在する可能性が示唆されていた。しかし、嗅神経細胞の匂い応答を模倣するアッセイ系がなかったこともあり、嗅粘液の存在によって嗅覚感度が向上する直接的な証拠や活性因子同定の報告はなかった。
細胞外マトリクスタンパク質「フィブロネクチン」を活性化因子として同定
研究グループは、まず培養細胞でのOR応答測定系として、cAMP応答ダイナミクスを時空間解析できるイメージング技術を開発した。この技術を用いて、嗅粘液のOR応答への影響を調べたところ、ヒト嗅粘液添加により匂い応答強度が有意に増加した。
そこで、この効果を指標にタンパク質の分析データを参照しつつ、嗅粘液から活性化因子の精製を行ったところ、嗅粘液中に多く存在する高分子マトリクス糖タンパク質であるフィブロネクチン(FN)が同定された。FNはさまざまな細胞で合成・分泌され、細胞が接着する足場となるための高分子マトリクス糖タンパク質。生体では多種多様な役割を担うと考えられており、特に怪我などで傷ついた細胞組織の修復など、治癒に大きな役割を持つことが知られている。
FNはORではなく匂い物質に作用する
匂い物質は比較的疎水性の揮発性分子で、多様な構造を持つ。さまざまな匂い物質で、FNの匂い応答増強効果によって匂いに対する感度が改善するか探るため、11組の匂い物質-ORペアに対するFNの効果を調べた。
その結果、10組のペアで匂い応答の増強に伴って、EC50(匂い物質が応答する受容体に対して最大応答の50%を引き起こすための濃度)の減少率が大きくなり、その程度はペアによって異なっていた。同じORでも匂い物質が異なると効果の程度が異なる一方、同じ匂い物質ではORが異なっても効果の程度が同じだった。つまり、FNはORではなく匂い物質に作用することが示唆された。また、匂い物質の疎水性が高いほど、より大きな感度の上昇効果が見られた。
FNは匂い物質を集積させ、局所濃度を高める
FNの効果のメカニズムを解明するため、FNの存在/非存在下において、OR発現細胞に添加した自家蛍光性匂い物質の挙動を可視化した。その結果、FN添加に伴い、細胞近傍の匂い物質の蛍光が増加し、OR応答の増強も同時に起きることがわかった。
以上の結果は、FNが匂い物質を局所的に集積させて濃度を増加させた結果、匂い応答増強効果が見られることを示している。
生体においてもFNが匂い応答の増強に関与、マウスで確認
次に、より生体に近い系でFNの効果を調べるため、マウス嗅上皮の嗅神経細胞で生じる匂いに対する電気的な応答を記録した。
嗅上皮から嗅粘膜を部分的に除去すると匂い応答が減少したが、そこにFNを添加すると匂い応答が部分的に回復した。このことから、嗅上皮上の嗅粘液において、FNが匂い応答の増強効果に関わっていることが明らかになった。
ヒトの嗅覚障害でもFNの関与示唆
さらに、ヒトの嗅覚障害におけるFNの関与に注目し、特発性嗅覚障害患者と健常者を対象に嗅粘液中のFN濃度を測定した。その結果、患者のFNレベルは、健常者群よりも有意に低いことが判明し、ヒトの嗅覚でも匂い知覚にFNが関与している可能性が示唆された。
匂いセンサー開発や嗅覚障害の治療への応用に期待
今回の研究により、高感度に匂いを受容する嗅覚メカニズムに、嗅粘液中のFNが重要な役割を果たしていることが明らかになった。
「この知見は、バイオハイブリッド型嗅覚センサーの感度向上や嗅覚障害の治療の基盤となる可能性があり、今後の匂いセンサー技術開発や嗅覚障害の臨床応用に貢献することが期待される」と、研究グループは述べている。
▼関連リンク
・東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 研究成果