70%の音楽家が抱える「音楽演奏不安」、日本語版評価尺度はなかった
東京大学は6月19日、国際的に標準化された音楽演奏不安(いわゆる演奏時の緊張・あがり、Music Performance Anxiety(MPA))の心理尺度であるKenny Music Performance Anxiety Inventory Revised(K-MPAI-R)の日本語版を作成し、その妥当性の検証結果を発表した。この研究は、同大大学院新領域創成科学研究科の髙木咲恵大学院生、吉江路子客員准教授、村井昭彦客員准教授らによる研究グループによるもの。研究成果は、「Frontiers in Psychology」に掲載されている。

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音楽演奏のためにステージに立つ際、その心理的プレッシャーによって、緊張・あがりを感じることがある。これは、学術的には「音楽演奏不安:Music Performance Anxiety(MPA)」と呼ばれ、演奏中の心理・生理的な反応(例:集中力の低下、心拍数の上昇)を引き起こし、演奏の質を低下させる要因として知られている。70%の音楽家が音楽演奏不安を経験している(Wesner et al.、1990)という調査結果もあり、音楽家にとって普遍的な現象である。その程度やパフォーマンスへの影響は個人によって大きく異なる。
音楽演奏不安の評価には、心理学的尺度が重要な役割を果たしている。中でも、「Kenny Music Performance Anxiety Inventory-Revised(K-MPAI-R; Kenny、2009)」は、MPAによる心理・生理的な反応や、MPAの要因を測定するために世界で最も広く使われている質問紙である。もともと英語で開発されたが、その後、22の言語の翻訳版が作成され(Kenny、2023)、各国の音楽家のMPA特性を把握するための基盤となっている。しかし、日本語版の作成とその妥当性検証は行われていなかった。
K-MPAI-R日本語版の作成、国内音楽家データに基づき有用性を実証
今回の研究では、K-MPAI-Rの日本語版を作成し、その信頼性と妥当性を検証した。まず、作成した日本語版原案について、プロ・アマチュアを含む7人の音楽家にインタビューを行った。インタビューでは、日本語として不自然な項目はないか、音楽家の経験から違和感のある内容や言い回しはないか等について確認した。インタビュー結果を基に、日本語版原案の一部修正を行った。
次に、国内の400人の音楽家を対象に、K-MPAI-R日本語版の回答を収集した。400人の内訳は、プロ音楽家200人、アマチュア音楽家200人、また、器楽奏者309人、歌手91人であり、幅広い層の回答を収集した。その回答データを用いて、質問紙の信頼性(尺度で測定しようとしている心理的現象を、誤差に影響されずにどれだけ一貫性をもって測定することができるか)、構成概念妥当性(尺度で測定しようとしている心理的現象を構成する概念が、その尺度の質問項目で確かに測定できているかどうか)、基準関連妥当性(作成した尺度の得点と、類似した既存尺度の得点がどの程度相関しているか)を確認した。
信頼性の確認には、尺度を構成する複数の項目の整合性の観点から信頼性を示す指標のひとつであるクロンバックのα係数が用いられ、0.93という妥当な値を示した。構成概念妥当性の確認には、探索的因子分析(多数の観測変数からそれらの背後にある因子を算出する分析手法)が用いられ、導出された因子構造は原版と類似していることが示された。基準関連妥当性は、状態不安(State Anxiety)と特性不安(Trait Anxiety)という2つの側面から不安を評価することを目的とした心理尺度である「State-Trait Anxiety Inventory(STAI)」との相関係数0.67、および音楽演奏場面において不安による心身の変化を経験する頻度を測定する心理尺度である「Performance Anxiety Questionnaire(PAQ)」との相関係数0.75という結果から支持された。これらの結果は、K-MPAI-R日本語版が音楽演奏不安を測定する上で、信頼性と妥当性のある尺度であることを示している。
国内音楽家のメンタルヘルス支援、トレーニング手法の構築に期待
今後、K-MPAI-R日本語版の活用により、国内において多様な楽器や音楽ジャンル、経験年数の異なる音楽家を対象とした研究が進むことで、より包括的な音楽演奏不安の理解と対策が期待される。これは、音楽教育やメンタルヘルス支援の現場で、科学的根拠に基づく効果的な対策や介入方法の開発に役立つだけでなく、演奏の場に立つ全ての人がより自由に自己表現できる環境づくりにもつながると考えられる。
「趣味で楽器を始めた方や発表会や人前での演奏に緊張を感じる方にとっても、自分の気持ちと向き合いながら音楽を楽しむためのヒントとなることが期待される」と、研究グループは述べている。
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・東京大学大学院新領域創成科学研究科 記者発表


