急速に進展する脳オルガノイド研究、細胞提供者の道徳感に反する可能性
広島大学は11月4日、ヒト脳オルガノイド研究への細胞提供に対する日本人の意識調査を実施し、提供細胞を幅広い医学・科学研究に利用することを可能にする包括同意に対して否定的・慎重な態度を示す回答が73%を占めたと発表した。この研究は、同大大学院人間社会科学研究科上廣応用倫理学講座の片岡雅知寄附講座准教授、同研究科の澤井努特定教授(寄附座教授兼務、シンガポール国立大学客員教授)、東京科学大学工学院の小池真由助教の研究グループによるもの。研究成果は、「Frontiers in Genetics」にオンライン掲載されている。

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ヒトの脳の発生過程の解明や、脳に関連する疾患の解明、創薬・治療法の開発を目的として、ヒト脳オルガノイド研究が急速に進展している。ヒト脳オルガノイドとはヒトの多能性幹細胞を培養して作製される3次元的な脳組織であり、その作製のためには細胞の提供が不可欠である。
細胞提供の場面では、日々の研究を円滑に進めるため、多くの研究機関が「包括同意」方式を採用している。そのため、この方式で得られた細胞が、ヒト脳オルガノイドの作製に用いられる可能性がある。
ヒト脳オルガノイド研究の領域は、ヒト脳オルガノイドを体外で作製するだけにとどまらず、動物への移植、機械への接続など多岐にわたる。こうした研究用途に対して、道徳的な抵抗を覚える人々が一定数いることがこれまでの研究から知られており、包括同意に基づいて提供された細胞からヒト脳オルガノイドを作製することは、細胞提供者の道徳感に反してしまう可能性が指摘されてきた。
ヒト脳オルガノイド研究において、細胞提供者の望まない形で細胞が利用される可能性があるのであれば、より望ましい細胞提供の手法や同意取得のモデルを確立することが早急に取り組むべき課題である。このような背景から、今回の研究では日本人を対象とした社会調査を実施し、適切な同意のあり方を検討した。
日本人326人を対象に、細胞の提供意思と同意のあり方を調査
研究グループは2022年12月8日に、日本人を対象に「脳オルガノイドに関する意識調査」というオンライン調査を実施し、20代から60代の男女326人(女性126人・男性200人)から有効回答を得た。回答者には、ヒト脳オルガノイド研究の概要を説明した上で「ヒト脳オルガノイドについて事前に知っていたかどうか」、「自分の細胞をヒト脳オルガノイド研究に対して提供する意思があるか、また、どのような研究目的であれば提供する意思があるか」を尋ねた。さらに、包括同意の概要を説明した上で「提供した細胞がヒト脳オルガノイドの作製に利用される可能性がある場合に、包括同意を採用する研究機関に細胞を提供する意思があるか」を尋ねた。加えて、自由記述で回答の理由を記載する機会を設けた。
基礎研究への細胞提供意思は42%、73%が包括同意に慎重
結果、参加者の91%はヒト脳オルガノイドに関する事前知識なしであった。また、ヒト脳オルガノイド研究への細胞提供意思を示した参加者は76%であった。医療応用が目的の場合は60~70%程度の参加者が提供意思を示すのに対し、基礎研究が目的の場合は42%まで低下した。包括同意を採用する研究機関への細胞提供意思を示した参加者は52%だった。ただし、37%(116人)が「場合による」、36%(121人)が「提供しない」と回答し、73%が包括同意に慎重であることが明らかになった。
個別説明とサイエンスコミュニケーションの強化が重要
細胞がヒト脳オルガノイド研究に用いられると明確に説明されている場合、多くの参加者が細胞を提供する意思を表明した。ただし、基礎研究に対しては医療目的の研究よりも提供意思を示した参加者が少ないという傾向が見られた。このようなギャップを埋めるためには、医療応用の基盤として基礎研究が不可欠であることを伝えるサイエンスコミュニケーションが推奨される。
ヒト脳オルガノイドが作製される可能性を踏まえると、包括同意を採用する研究機関への細胞提供については、「意思なし」・「場合による」と回答した参加者が73%を占めた。このように慎重な態度をとる人が多いことを踏まえると、包括同意を取得した細胞からヒト脳オルガノイドを作製することが、細胞提供者の意思に反することになる可能性がある。
慎重な態度の理由として、研究内容に関する説明を求める声や、研究目的を限定したいという声が挙げられた。これらを尊重する方法として、プロジェクト毎に研究内容を個別に説明したうえで同意を取得するという方法が推奨される。包括同意を維持する場合も、本調査の参加者の間でのヒト脳オルガノイドの認知度が10%程度であったことを踏まえると、ヒト脳オルガノイド研究に関する平易で明瞭な説明や、提供細胞がヒト脳オルガノイド作製に使用される可能性を事前に明示することが推奨される。
多様な文化と慣行を考慮した同意の仕組み構築が必要
今回の調査は、参加者の偏りや、対象群の設定など、いくつかの限界がある。責任あるヒト脳オルガノイド研究をさらに支援するため、質的な調査も含め、より多様な人々の意見を明らかにする調査が重要になる。
「今回の調査は、研究者・研究機関への不信が細胞提供に対して慎重となる理由の一部であることを示した。今回の成果が、研究への理解や信頼の構築を支援するサイエンスコミュニケーション戦略に活用されることが期待される。細胞提供は個人の同意に基づいて実施されるため、個人の道徳観を尊重することが非常に重要である。そのため、国や地域、集団の文化や慣行に配慮した同意の仕組みを構築する必要がある。今回のような調査を多様な国・地域・集団で実施し、同意の仕組みに反映していくことが求められる」と、研究グループは述べている。
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・広島大学 プレスリリース


