健康保険の窓口負担、将来の受診行動への影響は不明だった
早稲田大学は12月2日、2014年の健康保険制度改正による70~74歳の窓口負担の引き上げの効果を7年半に渡り調べた結果、窓口負担の増加により医療費が減少し、その効果は70~74歳の期間中のみならず、75歳以降も数年間持続した一方で、健康状態には影響しなかったことが明らかになったと発表した。この研究は、同大政治経済学術院の別所俊一郎教授と京都大学経済研究所の古村典洋特命准教授の研究グループによるもの。研究成果は、「American Economic Review: Insights」に掲載されている。

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健康保険の窓口負担(自己負担)が、患者の受療行動や健康行動・健康状態にどのように影響するかについては、医療経済学の分野で膨大な研究の蓄積がある。最も有名な研究の一つは、1971~1986年にアメリカのシンクタンク、ランド研究所が行った健康保険実験であり、窓口負担が0の人に比べて、窓口負担が25%の人の医療費が20%少なかったなどの結果が出た。日本についての研究では、70歳で窓口負担が30%から10%や20%に引き下げられることを利用して、70歳になる直前の人たちと、70歳になった直後の人たちの行動を比較する研究の結果が2010年代半ばから発表されてきた。
これまでの研究では、窓口負担の違いがその時点での患者の受診行動にどのような影響を及ぼすかが主に分析されてきたが、将来の受診行動への影響や、窓口負担が変化したあとの影響の変化は十分な検討がなされてこなかった。例えば、窓口負担が引き上げられた場合に医療費がすぐに減るのか、徐々に減るのか、減ったあとで元に戻ろうとするかなどについては、まだ解明されていない。日本においては、乳幼児医療費助成制度が地域間で異なることを使って、窓口負担の効果がどのように変化するかを調べた研究はあったが、前後1年程度の動きしか追えていなかった。
2014年制度改正に着目、1944年4月前後の出生者を長期追跡
今回の研究では、窓口負担が変化したあとに医療費や健康状態・健康行動がどのように変化するのかを数年にわたって追跡するため、2014年4月に行われた日本の健康保険制度改正に着目した。
2014年3月以前の制度では、基本的に窓口負担は69歳までは3割、70歳以降は1割であったが、2014年4月改正によって、70~74歳の負担率は2割に引き上げられた。改正時点で70歳以上の人はすでに1割負担だったため、改正後も引き続き1割負担とされた。したがって、70~74歳でみると、1944年3月以前に生まれた人は1割負担、1944年4月以降に生まれた人は2割負担となった。そこで今回は、1944年4月前後に生まれた人たちの医療費や健康状態・健康行動を2009~2021年まで追跡して比較した。データはレセプト情報・特定健診等情報データベースなどから得た。
2割負担により外来・調剤で3~6%減、75歳を過ぎても持続
結果、以下が明らかになった。
1.70~74歳の5年間をみると、2割負担の人たちの医療費は、1割負担の人たちの医療費に比べて少なくなったが、その度合いは5年間で大きく変化しなかった。
2.「外来」「調剤」「入院」にかかる医療費に分けてみてみると、「入院」医療費への影響は、「外来」と「調剤」に比べると半分程度であった。2割負担の人たちの医療費は1割負担の人たちに比べて、「外来」で4%、「調剤」で3~6%、「入院」で2%減少した。
3.70~74歳の時に2割負担だった人たちの「外来」・「調剤」医療費は、1割負担の人たちの医療費に比べて、75歳を過ぎても少ない傾向があった。
4.健康状態や健康行動(喫煙・飲酒・運動・睡眠など)は、2割負担の人たちと1割負担の人たちとで大きな違いはなかった。
1番目・2番目・4番目の結果は、過去に行われてきた研究結果と整合的であるが、3番目の結果は異なる。3番目の結果は、75歳を過ぎて窓口負担は1割で同じになっているにもかかわらず、70~74歳で2割負担だった人たちは、制度改正前から継続して1割負担の人たちよりも医療費が少ないことを意味している。さらに、4番目の結果を考慮すると、健康状態や健康行動が良くなったことで医療費が減少したわけではなく、むしろ、2割負担の期間での受診習慣が1割負担になっても継続していることを示唆している。
窓口負担増による「健康悪化」は確認されず、制度設計に新たな視点
研究グループは、今回の結果が健康保険を設計する上での示唆を与えるものだとしている。健康保険の財政状況を改善するために窓口負担を高くすると、受診控えが起きて健康状態が悪化してしまい、逆に医療費が増加して健康保険の財政がそれほど改善しないという議論がある。しかし今回の結果は、窓口負担が2割や3割といった水準にある時には、その議論とは整合的ではないことが示された。
今回の結果からは、なぜ70~74歳の時に2割負担だった人たちの75歳での医療費が、1割負担だった人たちと比較して少ないかという理由を特定するには至らなかったが、健康状態や健康行動の改善を通じたものではないことはわかった。もし、70~74歳の期間に安易な受診を控えたという過去の習慣が75歳以降の医療費減少の原因だとすれば、健康保険の財政状況と考えると、非常に軽い症状の時に安易に受診しないような仕組みづくりが有効である可能性が考えられる。あるいは、もし75歳になって窓口負担が減ったことを知らなかったのが理由だとすれば、窓口負担の通知の方法で医療費の出費をコントロールできる可能性が示唆される。
行動変容のメカニズム解明が今後の課題
今回の研究結果は、過去の窓口負担が現在の受診行動や医療費に影響する可能性を示したが、どのような仕組みで影響するのかについてはまだ明らかになっていない。
「この仕組みを知ることは、健康保険制度をどう設計するかに関係している。年齢などによって窓口負担が変わることを予見して行動を変化させているのかもしれないし、将来のことはさほど考慮せずに行動しているのかもしれない。将来のことを予見している人としていない人が混じっているのかもしれない。過去の負担経験が、なぜその後の行動に影響するのかを検証することは今後の重要な課題である」と、研究グループは述べている。
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