身体所有感が弱まる「離人症状」、成人の約半数が一度は経験
広島大学は4月23日、仮想現実(VR)技術を用いた実験により、痛みのイメージを関連付けた仮想身体では、「身体所有感」が抑制されることを明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院人間社会科学研究科の山本一希特任助教と中尾敬教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「Frontiers in Psychology」に掲載されている。

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ヒトは通常、自分の身体が自分のものであることを当然のように感じている。この感覚は「身体所有感」と呼ばれ、自己と他者・物体との区別や、危険からの回避などに不可欠だ。しかし、この感覚が弱まる「離人症」と呼ばれる症状に悩む人々も存在する。この病理の診断基準を満たすほどの有病率は約2%と言われているが,成人全体の約半数は,少なくとも生涯で一度は離人症状を経験するとされている。
認知的解釈が身体的所有感に及ぼす影響は十分に研究されていない
これまでの研究では、身体所有感は主に視覚と触覚の同期など、外部刺激からの入力(ボトムアップ処理)によって形成されることが知られていた。例えば、ラバーハンド錯覚の実験では、参加者の目の前にゴム製の手を置き、参加者の実際の手(見えないように隠されている)とゴム手を同時に刷毛で撫でると、次第にゴム手が自分の手であるかのような感覚が生じることが示されている。同様に、フルボディ錯覚の実験では、参加者が見ている仮想身体と参加者自身の身体が同期的に触れられることで、仮想身体を自分の身体として感じるようになる。これらの実験は、視覚と触覚という感覚入力の同期が身体所有感の形成に重要であることを示している。
しかし、身体への解釈(トップダウン処理)、つまり意識的な思考や期待、信念が身体所有感にどのような影響を与えるかについては、まだ十分に研究されていなかった。
VR技術を用いて否定的な解釈が身体的所有感に与える影響を検証
今回の研究では、VR環境内でのフルボディ錯覚を用いた実験を行った。フルボディ錯覚とは、視覚と触覚の同期的な刺激により仮想身体に対して「これは私の身体である」という感覚、つまり身体所有感が新たに生成されるプロセスを指す。今回の研究では、この「身体所有感の形成プロセス」に、トップダウン的な解釈がどう影響するかを調べた。
参加者はVRヘッドセットを装着し、目の前に表示された仮想身体の背中を見ながら、自分の背中と仮想身体の背中が同時に触れられる体験をした。実験では、参加者に「これは自分の身体である(ニュートラル条件)」、または「これは腹痛を感じている自分の身体である(否定的解釈条件)」の2つの条件で仮想身体を解釈するよう指示した。
その後、仮想身体の背中にナイフが刺さるという恐怖刺激を提示し、参加者の皮膚電気反応(SCR)を測定した。この反応は、参加者が仮想身体をどれだけ「自分の身体」として感じているかを示す指標となる。
否定的解釈は身体所有感を抑制する、先行理論を実証
結果として、否定的解釈条件(腹痛を感じている状態)では、ニュートラル条件に比べてSCRの値が有意に低く、フルボディ錯覚(視覚触覚刺激の統合による仮想身体への身体所有感の形成)が抑制される傾向が明らかになった。また、離人症傾向が高い参加者ほど、ニュートラル条件でのフルボディ錯覚が弱い傾向も部分的に観察された。
この研究の理論的背景として重要なのは、2003年にHunterらが示した知見だ。この先行研究では、離人症の人々は自分の症状のある身体に対して否定的な解釈を持つ傾向があり、これが身体所有感の欠如につながる可能性が示唆されている。
今回の結果は、この理論に一貫しており、身体に対する認知的解釈が身体所有感に影響を与えることを示唆していた。つまり、自分の身体を腹痛などの否定的状態として解釈することで、その身体を「自分のもの」と感じる能力が低下する可能性がある。離人症傾向の高い人がニュートラル条件でもフルボディ錯覚が弱かった理由として、彼らが日常的に自己身体に対して否定的な解釈を持っている可能性が考えられる。
離人症を含む身体所有感の障害に対する治療法開発に期待
今回の研究は、否定的な身体解釈が身体所有感を抑制する可能性を示した。しかし、この抑制が純粋に否定的な解釈によるものなのか、実際の身体状態と仮想身体の状態の差異によるものなのかは、今後さらなる研究が必要となる。
「今後、さまざまな種類の身体解釈(否定的、中立的、肯定的)の影響を比較検討する実験を計画している。これらの研究は、離人症など身体所有感の障害を持つ人々への理解を深め、効果的な介入法の開発につながる可能性がある。特に、認知的解釈に焦点を当てたアプローチは、新たな治療法の理論的基盤となることが期待される」と、研究グループは述べている。
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・広島大学 プレスリリース