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「看取り」から始まる医療がある~“大病院だけのハナシ”ではない臓器提供の実態 第4回

読了時間:約 6分19秒  2013年08月09日 AM10:00
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第4回「臓器移植医療が一枚岩にならない理由~さまざまな思惑が交錯する」

今回は、前回までとは趣を変え、私が得た日本移植医療の知見を基に、臓器提供に関わる人達のさまざまな思惑を、私見を交えて述べたいと思います。

まず、私が考える臓器提供の理想像を述べます。

(1)全ての日本人が、自らの死に際には臓器を提供するか否かを検討することをごく自然のことととらえ、ご家族と予め検討しておく。

(2)日本中の病院では、患者が入院する際には、どの様な病気や怪我かは無関係に、本人の臓器提供意思表示カード(専用カード、健康保険証裏面、運転免許証裏面)所持の有無を確認する。

(3)不幸にも患者が危篤状態になったと判断した主治医は、必ず本人のカード所持やご家族の提供の意思の有無を確認する。

この3項目が全て当然のように行われるならば、日本の臓器移植医療は何の問題もなく発展し、移植待機者数に見合う提供者数が得られるでしょう。

ただしその前に1つ乗り越えなければいけないのが「脳死は人の死か?」という議論の決着です。この点について、私の考えを以下に簡単に説明します。

「法的な規定」というのがポイント

(クリックすると大きな画像を見ることができます)

元々、死とは個体全体に訪れる状態であり、各臓器の状態ではありません。例えば、目死、耳死、肺死、肝死、腎死などはありえません。臓器が全くダメになった状態は、死ではなく機能喪失と表現します。ですから、脳死は脳機能が全て喪失した状態ですが、脳以外の臓器は立派に生きています。

この生きている臓器を他の人の体内で用いたいというのが移植医療の根本です。そして、脳機能喪失(本稿でも以下、脳死と便宜上表現します)の方からの臓器摘出術を違法行為としないために、その体を「法的に死体と規定した」わけです。すなわち、脳死の方は自然科学的には死んでいませんが 、法的には死んでいると規定されているのです。脳死状態とは、意識が戻る望みも生き延びる望みも完全に絶たれ、その後心臓が止まるまであとわずかな期間が残されている状態です。そして臓器提供を希望しなければ、死体とも表現されず、治療も中断されず、法的脳死判定も臓器提供もせずに済むのです。

では、これらを踏まえた上で「臓器移植医療との向き合い方」が立場別にどう異なるのかを説明します。

■一般国民は、臓器提供をどの様に考えればよいのか

当然ながら、全ての人は、いずれ必ず亡くなります。その時は、必ず心臓が停止します。一方、移植医療では脳死が話題の中心になりがちですが、「臓器提供可能な脳死状態」を経るご臨終は非常に稀です。脳死になったら臓器提供するか?と問われても、自分が脳死になるのかどうかは分かりませんし、現実的な話でもありません。しかし、心臓が止まって死ぬ際に臓器(腎臓や組織)を提供するかと問われると、それは100%現実的な問いかけになります。
インターネットの書き込みに、以下のような議論を見かけます。

「自分は、脳死を人の死と思うから、臓器を提供しても良い。」
「自分は、脳死を人の死と思わないから、臓器を提供しない。」

この論旨では、臓器提供するか否かは、その方が脳死を人の死と思うか否かに掛かっています。思想の自由が確約されている日本で、脳死をどの様に思うかは個人の自由です。そして、脳死を人の死と思わなくとも臓器を提供できますし、脳死を人の死と思っても臓器を提供しなくとも良いのです。つまり思うか思わないかが、提供の諾否の鍵ではありませんし、それにこだわると心停止下臓器提供への道が閉ざされてしまいます。
では一般国民は、臓器提供をどの様に考えればよいのでしょうか。まず第一問として、「自分は、自分の死に際に臓器・組織を他人に提供してもよいかどうか」を考えてください。Noであれば、そこで終了です。そしてYesであれば、第二問として「自分は、脳死と呼ばれる絶望的な脳機能喪失状態を人の死と理解し、臓器を提供してもよいかどうか」を考えてください。ここでNoならば心停止下臓器提供を、Yesならば脳死下臓器提供を選んでください。私は、これが自然な考え方だと信じます。

■「移植側」医師から見た移植医療とは

移植医療側の医師の思惑やその背景を、それぞれの部位ごとに説明します。

腎臓移植の待機者は1万2千人超

(クリックすると大きな画像を見ることができます)

【心臓・肺】

心臓は体に一つしかなく、脳死下でのみ提供されます。肺は体に二つあり、生体間での移植もわずかながら行われますが、やはり脳死下提供が主体です。心臓移植を待機する方は既に重症であり、余命(よみょう)がわずか数年以内で、一部は人工心臓を装着され病院内で過ごしています。これら極限状態の待機者の主治医・心臓移植医は、早急な脳死下臓器提供の発展を望むでしょう。心停止下臓器提供を基礎とした日本国民の広く正しい理解をのんびり待つことは出来ないのです。

【肝臓】

肝臓は、心停止下での提供は非常に困難とされています。しかし、脳死下提供以外の手段として、提供者が死を迎えない生体間移植法があります。実際、日本の肝臓移植の実に98~99%は親族間の生体間移植が行われています。この生体間移植時の親族とは、六親等以内の血族、配偶者、三親等以内の姻族と、驚くほど広範囲なものと規定されています。これが生体間臓器提供の安易さに繋がっていると、私は考えます。このことで、同じ脳死下提供臓器と言えども、心臓・肺と肝臓の移植待機の真剣味が異なると言えるでしょう。

【小腸】

小腸も、脳死下で主に提供されますが、生体間提供も可能です。そして小腸移植の特色は、その待機者が常にわずか数人であることです。臓器提供者と移植待機者との免疫学的な適合度が著しく異なれば、提供は不可能です。脳死下臓器提供症例のデータを見ると、小腸の提供がかなり稀であることが分かります。

【腎臓】

腎臓の機能が全て失われ、排尿による水分と老廃物の排泄が行われなくなっても、透析で生き延びることができます。日本は、透析治療が世界一発達し、現在30万人以上(人口400人に1人!)の方々が受けています。日本は言わば透析大国なのですが、これは移植医療が未発達であることの裏返しなのです。
更に、体内に二つあり、例え一つだけになっても大丈夫である腎臓の生体間移植が、全腎臓移植の85%と幅をきかす理由がここにあります。勿論、腎臓移植の方が、透析治療よりも治療効果が高い、余命が長い、社会貢献度が高い、医療費が格段に安いなどの利点があります。さて、では腎臓移植医師は、生体間・脳死下・心停止下のどの腎臓を望むでしょうか。長い死戦期の後に心停止下で提供される「傷み具合がギリギリ」の状態の腎臓よりも、健常な血液が十分に流れ「新鮮」な状態で提供される生体間・脳死下の腎臓の方が良いに決まっています。また心停止下提供には、第3回で述べた「長期未定のストレス」の問題があります。つまり、腎臓移植にも、国民の心停止下臓器提供の広い理解を基礎とした発展を望むものの、実は脳死下提供の方が遙かに都合がよいとの事情があります。しかし、1万2千人を超す移植待機者を、年間数十例の脳死下提供だけで救うのは不可能なのです。

【膵臓】

膵臓移植の待機者は、主に重症の糖尿病の方々です。膵臓は心停止下でも提供可能ですが、心停止後直ぐに傷むため、人工呼吸器や昇圧剤を敢えて中止する心停止を選ぶことが必要です。しかしそれは社会的な問題を孕みやすくなります。そこで主には、膵臓提供は脳死下で、心停止下の提供では膵臓ではなく膵島移植を選択することになります。この事情は非常に複雑ですので、本稿では省略いたします。

■「移植側」と「提供側」で異なる医師の思惑~提供側医師の見地から

最後に、臓器提供側の医師の思惑や背景事情を説明します。
脳死下臓器提供できる施設は限定(5類型施設)されています。規定の詳細は省きますが、脳神経外科に関しては専門医が二人勤務する病院ならば概ね該当し、日本国中で825施設が候補として挙げられます。しかしながらその全てで臓器提供の準備が整っている訳ではなく、「やる気があるならば可能な施設」という意味に過ぎません。一方、心停止下臓器提供には施設限定がありません。極端に言うならば、手術室があれば町中の小さな病院でも提供可能なのです。

日本脳神経外科学会HPの会員専用ページには、脳死判定や臓器提供についての質疑応答集があります。この中に、以下のような文があります。

Q:5類型施設は臓器提供施設となる義務があるのか?
A:指定されているが義務ではなく、体制構築を要望されている。
Q:家族に対して臓器提供意思を確認することは法的義務か?
A:自主的なものであり、法的義務ではない。
Q:臓器提供施設になっていないことで、病院機能評価上不利益になるか?
A:別次元の問題であり、不利益にはならない。

これらのQ&Aから、現状では、臓器提供はやる気がなければそれで済む、誰からも責められないものであることが一目瞭然です。簡単に言うと、いくら法律が整い一般国民がカードに署名しても、医師がカード所持やオプション提示をしなければ何も始まりません、そして、家族がカードを提出しても、医師が一言「あ、うちではまだ準備が出来ていないから」「うちでは出来ないから」などと切り捨てれば臓器提供は全くなされない訳です。全国で臓器移植を心待ちにしている方々、移植がなされなければ死を迎えるだけの方々の存在を知ってか知らずか、医師が提供の意思を無視し、あるいは簡単に切り捨ててしまい、それを検証するすべがない現状こそが、火急に是正すべき最大の問題と言えるのです。

次回は、メディアでしばしば採り上げられる「臓器を提供する子どもが被虐待児か」の問題を中心に解説します。

※文中で使用しているスライドは、『医療ボードpro』へのダウンロード使用可能です(無料)。
『移植医療(脳死下・心停止下提供)の実際』

吉開 俊一(国家公務員共済組合連合会 新小倉病院 脳神経外科部長)

1984年 九州大学医学部卒業
1991年 臨床大学院課程修了、医学博士取得
1993年 日本脳神経外科学会専門医取得
その後、脳血管障害、頭部外傷、脳腫瘍など、主に脳神経外科救急領域にて従事
2009年より現職

著書:移植医療 臓器提供の真実 ―臓器提供では、強いられ急かされバラバラにされるのか―