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赤枝医院 赤枝朋嘉院長

読了時間:約 5分26秒  2010年03月09日 PM06:37
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 「経営に悩む医療人の役に立つならば」・・・軌道に乗るまでの失敗談や苦労、成功の秘訣やノウハウ、そして“次の一手”など、「他では開示されない貴重なノウハウ」を、教えてくれます。
 有力院長が次々と登場するので、月に2回はアクセスして、「自院の方向性チェック&考察」の機会にご利用ください。
akae_01赤枝医院
赤枝朋嘉 院長

人材も内装もグッズも。
「オーダーメイド医療」実現に
院内資源ベクトルはすべて統一

一番の苦労

開業融資は門前払いの連続。想いが通じたのは最後の最後だった。

akae_01_1 勤務医時代、日本の出産現場は実にベルトコンベアー的だと感じていた。現代日本の医療制度下では致し方ないことはわかっている。しかし、自分はもっと患者さん一人ひとりを細かくケアした医療を行いたいと思い、「オーダーメイドの出産」をかなえる医院を開業すべく準備に動き出した。しかし勤務医の給料などたかが知れている。ろくな貯金もなければ、勿論スポンサーもなかった。資金調達のためにさまざまな銀行をまわったが、どこも門前払い。自己資金も担保資産もなかったことにくわえ、当時私は34歳だったので、若さもネックだったのかもしれない。
 最後に会ったのは、地元の信用金庫だった。そこでも最初はいい顔をされなかったが、駄目でもともと、思いの丈を訴えた。当時多摩地区に産院が少なかったことを引き合いに、「出産する場所も育てる場所もない地域に、この先、若いカップルは来ないだろう。今は借金を抱えてまで新規に産院を開業する者などほとんどいない。今ここで融資しないというのであれば、どんどんこの地域は廃れていくだろうし、この信金の沽券も下がっていくだろう」という話を――脅すのではないが、かなり強く主張した。すると「少し考えさせてくれ」という反応があり、どうにか融資を受けることができた。ただ当時は金利が高く、19床で建てたかったのだが、最初は13床にせざるを得なかった。その後1年間の資金繰りを評価してもらって追加融資を受け、やっと今の形に建て増すことができた。

一番の工夫

出産は繊細で緊張を伴うもの。患者さんに安らぎを与える努力は惜しまない。

akae_02 妊婦は、体の変化や出産リスクなどと向き合わねばならず、メンタルが落ち込みやすくなっている。そんな患者さんに提供する「オーダーメイド出産」の第一歩は、リラックスできる診療環境と、居心地のいい入院環境を作ることだ。そのためには、いくら気を配ったとしてもやり過ぎということはない。リゾートのような雰囲気の内装や、待合室のアロマオイルとハーブティー、出産時のヒーリングミュージックなどは、すべてその一環である。また当院では、専用ミネラルウォーターを作ったり、妊婦のためのヨーガやフラワーアレンジメントなど各種教室を院内開催したりと、“赤枝医院”としてのブランド力をつける努力をしている。丁寧で安全な医療を行うことは大前提だが、せっかくなら「どこで産んだの」と聞かれたとき「赤枝で産んだよ!」と胸を張って言って頂きたい。その甲斐あって、退院した患者さんから「妊娠期間をリラックスして楽しむことができた」というお言葉を多数頂き、また「ここなら快適に産めると聞いた」と多くの方が訪れて下さるようになった。

一番の失敗

「赤枝医院ブランド」を追求したら、什器や間取りで実用面の失敗も。

akae_03 開業する際、院内のレイアウトやインテリアは、すべて自分で指示した。女性からの評判は「病院とは思えないほどおしゃれ」と上々だが、一方で悪い面もある。例えば、ベッドは作りこそおしゃれだが、カドが角張っていて足をぶつけると痛い。そういった細かい部分で、おしゃれな内装には良い面もあれば悪い面もある。
 しかし一番失敗したと思うのは、倉庫の少なさだ。患者さんの数が増えるごとに、カルテ数は増える。また前述したようなブランディングの一環で、記念品などの物品も増える。そのロットは千、二千という数なので、在庫があっという間にスペースを占拠してしまう。本来、診療室には超音波検査装置など必要な物だけを置きたいのに、荷物置き場ができてしまった。これからは電子カルテの時代なので、それほど気にする必要はないかもしれない。それでも、家と一緒で、収納スペースはあればあるだけ良いと思う。

一番の助言

誠意をもって「やりたい医療」を行う。

akae_04 医療というのはズルい世界だ。景気に関わらず絶対にニーズはあるし、適当に経営していても潰れることはまずない。だから目的が“儲け”だけでは、モチベーションを保てない。患者さん一人ひとりを診る意識は薄れ、ないがしろな対応をしてしまいがち。もし飲食店であれば、店主は一人の客に「美味しい」と言われることに喜びを感じるはずだ。医師も、その気持ちを忘れてはならない。
 私は、「いつか患者さんが一人も来なくなるかもしれない」と、びくびくしながら日々を過ごしている。だからこそ、私を頼って来てくれた人には誠意をもって対応したい。勿論、自身に疲労があったり、パーソナリティの変化が激しい患者さんだとイライラすることがある。しかしそれは後で必ず後悔する。志を高く保たず、儲け主義に走れば、日々の感情に飲み込まれてしまうだろう。
 これから開業される方には、ぜひ“自分がいる地域で、自分を頼ってきてくれた人に対して、自分のやりたい医療を、誠意をもって行う”というスタンスを持ち続けてほしいと思う。

一番の秘訣

譲れないのは、「志が同じ仲間」と仕事すること。

akae_05 当院では、当直のバイト医師を置かない。年間800、月にして60から70のお産があるが、すべて私または副院長の2人で受け持っている。そのため、どの患者さんが来院しても顔がわかるし、患者さん側にも安心して頂ける。そこが当院が一番自慢できるところだ。
 2人体制は肉体的にも辛いが、開業時の志を完遂するため「2人でできるところまで頑張ろう」と話し合っている。副院長とは大学時代からの付き合いで気心が知れていることもあるが、「志が同じである」ことが2人でやっている理由だ。私たちは、患者さんに会ったとき「はじめまして」ではなく「こんにちは」と言いたい。その志が同じでない医師を入れてしまうと、自分の見えないところ、わからないところで医療が行われるリスクがある。
 スタッフに関しても同様だ。私の医院に対する想いが全員に伝達するのはなかなか難しい。患者さんに対して誠意のない人、冷たい人、ただ稼ぎに来ているような人は教育するが、それでも改善されない場合は辞めてもらう。御多分にもれず、人手不足には悩まされているが、私のやりたい医療を理解してくれるスタッフでなければ、いてもらっても意味がない。「同じ志を持つ人と働く」、これが「やりたい医療」を行う一番の秘訣ではないだろうか。

一番のゆめ

「自分のやりたい医療」を、引退するまでずっと続けられるか。

akae_06 出産が無事に終わったときの気持ちは、喜びというよりも安心といったほうが正しい。普段は気が張り詰めていて、患者さんに何か悪いことがあるのではないかと、良い方よりも悪い方へ考えが先行してしまう。だから無事に生まれたときは本当にホッとするし、毎日、「今日も一日無事に過ごせた」という感謝の気持ちで生活している。
 5年前に自分のやりたい医療を実現するために開業し、現在もそれにまい進している。しかし本当に夢がかない、それを喜ぶことができるのは、自分が引退するときではないだろうか。15年、20年と続けることができ、特に大きな事故もなく無事に終えられたなら、そのとき初めて夢がかなったと思えるのだろう。

医院プロフィール

赤枝医院

東京都多摩市関戸2丁目69-3
TEL:042-337-6603(代表)
医院ホームページ:http://www.akaeda-clinic.com/

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京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩3分。
当時多摩市には産院が少なく、この場所を選んだそうだ。リゾートホテルのような院内にいると、そこが病院であることを忘れてしまいそうになる。待合室にはかすかにアロマオイルの香りが漂い、患者さんはハーブティーを飲みながら時間を待つ。患者さんのための各種教室も開催するなど、女性の心をつかむ工夫は参考にしたい。

診療科目

産科・婦人科

理念

「一人ひとりにあった、オーダーメイドの医療」

院長プロフィール

赤枝朋嘉(あかえだ・ともよし)院長略歴

1999年 東京医科大学卒業
同大学病院 産婦人科入局
2003年 聖ヨハネ会桜町病院 産婦人科医長
2005年 医学博士号取得
赤枝医院 院長

資格・所属学会ほか

日本産婦人科学会
産婦人科内視鏡学会
日本胎盤学会
日本放射線科学会

赤枝朋嘉(あかえだ・ともよし)院長学生時代はヨットに熱中し、ほとんど海で暮らしていたという赤枝院長。
「一人が帆を操縦し、
 もう一人は周囲の風や波の情報を伝える。
 ヨットと医療はとてもよく似ているんです」
今は同じ志の副院長と、風をつかまえながら医療の世界を進んでいる。