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次世代のがん治療医像を考える

読了時間:約 15分17秒  2022年10月20日 PM02:50
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提供:中外製薬株式会社
未来の肺がん治療医育成は、男女を問わずキャリアを伸ばせる環境整備から 幅広い人的交流から学んで成長できる医師であれ

近年、少子化対策や男女共同参画、働き方改革の観点から、「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」を目指す動きが盛んになっています。
医療分野においても例外ではありません。
このような潮流のなか、キャリア形成に頭を悩ませている先生方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、ここでは兵庫県立がんセンター 里内美弥子先生に、これまでのご経験や、これからキャリア形成をされる先生方への想いについてお話を伺いました。

患者さんに最適な治療を届けることをモットーに、日々の診療に励む

 私は医師になった当時から今まで、「目の前の患者さんに最もよい治療を行いたい、届けたい」という気持ちは変わっていません。今では患者さんとのかかわりは、主に部下の先生方を介してではありますが、それでも患者さんには一番よいと思われる治療を届けられる医師でありたいと、常に考えています。

 私はもともと、早く勝負の決着がつくことや、手先を使った技術を求められることが好きでしたので、最初に目指したのは外科でした。しかし、当時(1980年代後半~1990年代)の外科では、「(ライフイベントのために労働時間が限られてしまう女性は)チーム医療に適さない」として、女性医師を避ける傾向があり、外科への入局はかないませんでした。

 次に目指したのは循環器内科です。患者さんの全身の管理へ視野を広げることができ、イベント発生時には緊急対応が求められる診療科で、性格的に自分に向いていると思いましたし、カテーテルを用いた治療を含め外科同様に勝負が早くつきそうだと考えたからです。またその頃から、さまざまな疾患を幅広く診られるオールラウンダーの内科医にも魅力を感じるようになりました。

思い通りにならなかった配属先。そして、いつしか肺がん専門の道へ

 初期研修は一般内科を行う施設で受け、血液専門医のもと血液がんの化学療法なども経験しましたが、心のなかでは循環器内科に進むと決めて、研修を終えて大学の医局に戻る時期になりました。大学に戻るのに先立ち大学院の受験前面接をと、同期の医師とともに医局での面談に臨みましたが、「女性にはいろいろ事情が生じると思うが、当科で大学院に進学するのはこの先大学で教官になるか主力関連病院の指導者になることを見通せるもの」とのことで、受験願書を出す前に門前払いになりました。

 病院勤務後には一度大学で研究を行い、循環器グループ・呼吸器グループのうち、希望とは異なる呼吸器グループに配属となりました。「次は希望通りに配属する」という言葉を信じて、ひたすら我慢を重ねた時期でした。

 このときの研究テーマで診療でも診ていたのは、肺がんではなく、主に喘息です。当時の神戸大学は放射線科にいた肺がん専門の先生が内科的治療も行っていて、呼吸器科所属の私が肺がんを診ることはありませんでした。

 そして、今でも忘れません、大学での研究に目処が立ち次の異動先が気になる時期のことです。診察中に、突然電話が入りました。異動先を知らせる連絡でした。兵庫県立成人病センター(現・兵庫県立がんセンター)に決まったと聞いて、私は絶句しました。当時すでにがん診療にシフトしていた成人病センターは、私の希望する循環器内科や一般内科ではなかったからです。

 配属先の成人病センターでは、今の礎となるスキルを学びました。特に、高田佳木先生(現・神戸百年記念病院 放射線科部長)には画像読影と気管支鏡の技術を教えていただきました。その頃は、仕事と家庭の両立を考えると手に職があったほうがよいと思っていたので、「読影や気管支鏡を頑張りたい」と申し出ました。高田先生からは「わかることは全て教えてあげますよ」とおっしゃっていただきました。他病院への異動の話もありましたが、いろいろあって、結局成人病センターで7年間お世話になりました。

 その後、一度神戸大学に戻りました。循環器内科ではなく肺がん診療を始めた呼吸器内科の助教としてです。希望通りではありませんでしたが、「この医局で、他の誰ががんを診るのか」と言われると、受諾せざるを得ない状況でした。もっとも、そのときですら専門を肺がんに絞るつもりはありませんでした。

 大学の呼吸器内科に在籍中、成人病センターの呼吸器内科部長が根來俊一先生(現・宝塚市立病院 特命病院長(がん診療担当)兼がんセンター長)に代わりました。助教になってから数年後、再び成人病センターに赴任することになったのですが、当時まだ私はオールラウンダーの内科医になる夢を捨てていませんでした。根來先生にそのことを申し上げたところ、「君はもう、肩までがん診療に漬かっているじゃないか」と返されました。そして、「症例数が多いこの成人病センターは、西日本でも指折りの施設を目指せる。それを実現するために私は来た」とおっしゃいました。一緒に頑張ろうと言われたように感じ、以降は他領域へと変更することなく今に至ります。

ネックになったジェンダー問題、救いは信頼のおける上長の存在

 根来先生の元に来る頃までずっと、いつでもオールラウンダーの内科医になれるよう総合的に勉強していましたが、呼吸器領域にも面白さを感じていました。気管支鏡が上手に扱えるようになりましたし、肺がんの臨床試験も、実際に手掛けてみるととても面白く奥深い世界でやりがいがありました。

 また、1990年代後半は第3世代の抗がん剤が登場した時期でしたし、大学に戻った時期は分子標的治療薬の登場と重なりました。肺がんの薬物療法が大きく変わり始めたタイミングだったのです。自らが手掛ける臨床試験で新知見を見出すこともでき、他の診療科より面白味があったと思いますし、何より「目の前の患者さんに最善の治療を」というもともとの希望を果たせる場所でもあった、今振り返ればそう思います。

 ただし、あくまで「今振り返れば」の話です。当時は大きな葛藤がありました。今と違ってジェンダーの問題はとても大きいものでした。私は医者という職業は、「女性だからここまでしかできない」ではなく「女性でも裁量をもって、さまざまなことを行える」仕事だと思い描いていたのですが、ハラスメントなどが一般に認知されていない時代にそれを叶えるのは、実際には大変難しいことでした。研修医の頃から症例報告の執筆や学会発表もさせていただき臨床医としてもしっかりやれている自負があったぶん、「女性であるだけでどうして私だけ希望の専門を選べないのか」と、当時は悶々とした気持ちを抱えていました。

 一方で、臨床医としては重宝されていましたから、他院からの好待遇のお誘いに迷ったり、比較的ゆとりのある診療科に移ろうかと思い悩んだりしたこともあります。

 そんななかでも、それぞれの異動先の病院の上長であった先生方は大変目にかけてくださり、同時に大事に育ててくださいました。意識的にいろいろなことを経験する機会を与えてくださいました。よく、同僚から「あなたは上司に恵まれている」と言われていましたが、実際その通りだと思います。そのおかげもあり、私自身も楽しんで実務を行うことができましたし、それによって臨床医としても研究の場でもさまざまな技術を磨くことができました。いろいろなことがあっても、最後は直属の上司の存在が大きいと思います。

 今、私は指導する立場になりました。自身の経験をふまえて、部下にあたる先生方のやる気が出るように、また働きやすいようにしてあげたいと常々思っています。上司にお礼のようなことを言うたびに、「よくしてもらったと思うなら、それを自分の部下に返してあげなさい」と言われていましたから、これは私の責務です。さまざまな機会を与えられるようにとも考えています。働きやすいチーム作りがより良い診療にもつながります。もちろん、それぞれの希望の進路が叶うようにと心がけたいとも思っています。

学会理事などを務められる女性医師は少なく、医学界のダイバーシティは道半ば

 最近では、どの学会も女性の登用に積極的です。例えば国際肺癌学会(IASLC)では、理事に女性枠を設けたり、女性どうしで集まって若い世代の先生方と私たちの世代が話せる場を作ったりしています。

 私たちの世代のときには先に申し上げたジェンダーの問題に加え、社会的にも女性医師が結婚・出産・子育てといったサポートを受けられる体制は構築されていませんでした。保育所で「看護師・薬剤師の子どもは預かるが、女性医師の子どもは預かれない」と言われることが本当にあったのです。そのため、やる気のあった女性医師の多くは淘汰されてしまい、今主要な施設や学会で指導的な立場となるような人材は非常に限られてしまっています。そのわずかの女性医師には仕事が多く集中する結果にもなり、これもひとつのジェンダー問題になっているのではないかとも思っています。

 ですから、今を過渡期にしなければなりません。私たちの世代が本当にすべきことは、下の世代をサポートしながら育てて、次につなげることです。私は、医療現場で活躍している女性医師と若手の女性医師が話す機会を設けるための会を関西圏で開催したりして、いろいろと模索しています。本当に難しいことで何が役に立つのかわからないのですが、先輩医師の経験を共有したり横のつながりを持ったりできればと思っています。女性としてのライフイベントを経験しながら、希望するなら専門医として戻ってきて活躍できる―そんな環境を整えて、女性医師を増やしていかなければ先行きが危ぶまれます。特に、いったんキャリアが途切れたとしても、もう一度戻ることができ頑張れる仕組みはとても大事です。

 女性の先生方には、「その時々も大事ですが、少し先まで見据えて頑張ってみてほしい」と伝えたいですね。環境は変わっていくと思いますし、そうしないといけないと思っていますので、今までのご自身や先輩の経験談からそんなのできっこないと決め込まないでほしいと思います。

男女問わず、医師を制度や仕組みで支えられるようにする視点が必要

 女性医師の抱える問題は確かに大きいのですが、この問題は男性医師にも無縁ではありません。男性医師であってもワーク・ライフ・バランスが重視される時代です。ジェンダーにかかわらず、医師全員がよい環境で業務を行うことを考える視点が重要だと思います。男性でも小さいお子さんや、介護する家族がいれば、同様の問題を抱えていることもあるでしょう。

 私たちの施設では、子育て期間の女性医師には、短時間勤務制度などをフレキシブルに活用してもらえたり、男女を問わず、子育てや介護に関する休暇などは比較的充実しているのではないかと思います。せっかく女性医師が主導しているのですから、私の診療科はいろいろな事情があっても医師の専門性を保てるように配慮した運営にしたいと常に考えています。それでも個々の事情はさまざまでとても難しいことがあることも十分理解しているつもりです。

 女性がライフイベントに時間を使わざるを得ないときの、男性医師へのサポートも必要です。夜勤や深夜の急患呼び出しを代わって担当する男性医師は、負担が重くなることが予想されるからです。このような状況下でも、さまざまな選択肢を用意するための制度や、医師が辞めずに働き続けられる仕組みを構築することが重要ではないでしょうか。

 私が話していることは、「支える人が少ない」今の日本の医療現場や社会の仕組みのなかでは絵空事に聞こえるかもしれません。しかし、今の若い世代と私たちの世代でも社会環境が大きく変化しています。今後も引き続き組織や制度から変わることが求められている時代であることは確かでしょう。

 同じ職場で働く医師それぞれの気持ちの面も、気にかける必要があります。医師といっても人間でそれぞれ生活しているのですから、子どもの発熱などで、急に子どもを迎えに行かなければならないことも起こります。子育て以外にも、親御さんの介護などで時間がとられることもあるかもしれません。そういうときに、思うように業務ができない医師の状況を、頭で理解はしていても、一時的にそれをフォローする医師が不満を抱くこともあるかもしれませんから。

幅広い世代の肺がん専門医と意見を交わすことが成長につながる

 人材育成、また自身の成長という観点からは、若い先生方には、さまざまな人と意見を交わすことをお勧めします。いうなれば所属施設を飛び出す「他流試合」ですが、私は西日本がん研究機構(WJOG)の活動のなかで近い世代の先生方と一緒にディスカッションし、その後お酒を酌み交わしながら肺がんに関するさまざまな見解を伺い、勉強させていただきました。

 また、ありがたいことに、私たちより上の世代の先生方が、我々の世代を育てなければと思ってくださっていました。若手医師(Young Investigator)が議論を交わすような会合、合宿などをたくさん企画していただき、そのなかでプレゼンテーションやディスカッションを任され、厳しい質問を浴びせられることもありましたが、それらの質問に必死に答えるなかで鍛えられました。答えられなかった質問があって本当に悔しかった記憶が今でも残っていますが、それが成長なのだと思います。幅広い世代の先生方との積極的な交流を通して、能力を伸ばしていただきたいですね。

(取材:2021年4月23日、会場:東京ステーションホテル)
里内 美弥子 先生
兵庫県立がんセンター 副院長(診療支援担当)兼 ゲノム医療・臨床試験センター長・呼吸器内科部長
1989年 神戸大学医学部卒

資格等:日本肺癌学会 理事・評議員、日本呼吸器学会指導医兼専門医・代議員、日本呼吸器内視鏡学会指導医兼専門医・評議員、日本臨床腫瘍学会暫定指導医・協議員、日本がん治療認定医機構認定医、日本内科学会認定医兼指導医・評議員
主な所属学会:日本肺癌学会、日本呼吸器学会、日本呼吸器内視鏡学会、日本臨床腫瘍学会、日本癌治療学会、日本内科学会、日本がん分子標的治療学会、日本循環器学会、ASCO、IASLC、ESMO
TOPICS : がん患者さんの栄養管理
管理栄養士と連携して、患者さんの食の不安や辛さを軽減、栄養状態の維持につなげる
大妻女子大学家政学部食物学科 教授
川口美喜子 先生

 がん治療中の患者さんの栄養管理は、治療を完遂するための免疫力と体力をつけるだけでなく、在宅医療においては療養環境を整えるために重要な役割を果たします。肺がん患者さんの栄養管理は、治療方針や治療経過、病期に応じて、“術前術後の栄養状態維持”、“治療経過に伴う副作用の軽減”、“治療の目標に向かうための体力維持”、“栄養改善が困難な時期の食支援”を目的として個別に行います。

 がん治療において栄養管理が必要となる事例のひとつに、高頻度で認められる体重減少があります。要因としては、がん細胞が産生する炎症物質によって代謝が亢進することや、がんと診断されたことによる精神面の影響による食欲不振などが考えられます。このように、エネルギーやたんぱく質、微量栄養素の摂取量が不足する場合は適切な栄養補助食品の使用も考慮します。治療実施後は、副作用などの影響により食事摂取が困難になる場合もあります。治療計画から摂食嚥下障害や消化器症状などが予測される場合には、あらかじめ栄養管理計画を策定したうえでの食支援が必要となります。

 がんの診断後は、手術や放射線治療、化学療法などの治療の決定あるいは経済面、仕事や家族関係などの生活環境を整えることが優先され、患者さんやご家族をはじめ、医療従事者においても“食・栄養”に関心が及びにくい実態があります。患者さんの中には、不確かな“がんに効く”とされる体験談や情報をもとに、偏った食事を摂ってしまう方もいます。こうした誤った情報により栄養状態の悪化や体力の低下を招くことは、治療の継続を困難にすることにもなりかねません。

 患者さんのなかには、「食べたくないときは、数日くらいなら食べなくても大丈夫」と思っている方もいるようです。しかし、治療中の食欲不振が継続すると摂食能力が低下し、回復させることは非常に困難になります。がん患者さんが目標とする治療を最後まで受けることができるように、私たち管理栄養士や医療従事者は、がん治療における“食・栄養”の重要性について、がん患者さんやそのご家族に繰り返し伝えていく必要があると考えています。

 私たち管理栄養士は、がん患者さん個々に応じた“食・栄養”について提案することで、治療を継続することや、生活の質を保つことを支援していきたいと考えています。しかし、「何をどれだけ食べてよいのかわからず、食べることが不安」「食事についてどこに相談に行けばいいのかわからなかった」というがん患者さんの声を耳にします。患者さんの食の不安や辛さを軽減し、栄養状態の維持のために、医師や他の職種の方々と共に管理栄養士が連携することも大切だと感じています。

川口 美喜子 先生
大妻女子大学家政学部食物学科 教授