糖尿病網膜症、ミクログリアの役割が注目されている
神戸大学は10月7日、マウス糖尿病網膜症における免疫細胞の挙動を新しい経瞳孔イメージング法により解明したと発表した。この研究は、同大大学院医学研究科の橘吉寿准教授、曽谷尭之大学院生、楠原仙太郎講師、中村誠教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「PNAS(米国科学アカデミー紀要)」に掲載されている。

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ヒトがものを見るとき、眼球の奥にある「網膜」が重要な役割を担う。網膜は、光を受け取る神経細胞、これを支えるグリア細胞、さらに血管を構成する細胞など、多様な細胞から成り立っている。これらの細胞は「神経血管ユニット」と呼ばれる仕組みを作り、神経活動の維持や血流調整を通じて、視覚機能を正常に維持する。
このバランスが崩れることで進行する代表的な疾患が「糖尿病網膜症」である。糖尿病網膜症は糖尿病の3大合併症の一つであり、世界的にも失明原因の上位を占めている。これまで「血管が障害されることで視力が失われる」と理解されてきたが、最近の研究により「血管障害に先行して神経や免疫細胞の異常が始まる」ことが指摘されている。
特に注目されているのが、網膜に常在する免疫細胞「ミクログリア」の役割である。ミクログリアは常に突起を動かしながら周囲を監視し、異常が起これば炎症反応を開始する。いわば「網膜の監視役」だが、その具体的な働きの変化は、生きた状態での観察が難しかったため不明な点が多く残されていた。
生きたまま網膜を観察できる新しい2光子顕微鏡イメージング技術を開発
近年、「2光子顕微鏡」という特殊な顕微鏡が、脳や皮膚などを生きたまま観察することができる技術として、さまざまな研究に用いられている。これまでにも、生きたマウスの網膜を観察しようといくつかのグループにより研究が行われてきたが、従来の方法では技術的な課題も多く、高解像度かつ簡便な方法は確立されていなかった。
今回の研究では、2光子顕微鏡を用いて、高解像度かつ簡単に、生体マウスの網膜を観察できる新しい方法を開発した。頭部を固定する装置、角膜を保護するための特注のコンタクトレンズ、そして網膜の奥まで鮮明に観察できる特殊な対物レンズを組み合わせることで、従来必要とされた高価で複雑な「補償光学」と呼ばれる特殊な技術を使わずに、生体の網膜を鮮明に観察できるようになった。この改良により、神経細胞や血管だけでなく、ミクログリアの突起の細かな動きまで、長時間にわたって安定した記録が可能になった。
糖尿病モデルマウスの網膜ではミクログリアによる監視が過剰に亢進
この新しい観察法を使って、ストレプトゾトシンによって糖尿病を誘導したマウスの網膜を調べたところ、これまで知られていなかったミクログリア突起の異常が明らかになった。健康なマウスの網膜では、ミクログリアは突起をゆっくりと動かし、一定の範囲を落ち着いて監視していた。しかし糖尿病マウスでは、この突起の動きが活発になり、監視活動が過剰に亢進していることが確認された。これは従来の固定標本による観察では見逃されてきた現象であり、糖尿病網膜症の病態を理解するうえで新しい視点を与える重要な知見である。
リラグルチド投与により網膜ミクログリアが正常化、血糖降下とは異なる作用
さらに研究グループは、すでに糖尿病や肥満の治療に広く用いられている「リラグルチド(GLP-1受容体作動薬)」を糖尿病マウスに投与し、その網膜を観察した。糖尿病マウスにリラグルチドを投与すると、過剰に活発化していたミクログリアの突起の動きが沈静化し、健康なマウスと同程度の活動レベルに戻ることがわかった。
注目すべきは、この改善効果が血糖値の低下とは無関係に現れた点である。このことは、リラグルチドが網膜の免疫細胞であるミクログリアの異常を抑えるという新たな作用を持つ可能性を示唆している。
また、従来用いられてきた固定網膜標本の免疫組織化学染色による解析でも、糖尿病状態において増加していた活性化型のミクログリアが、リラグルチド投与後には減少していることが確認された。これらの結果から、リラグルチドが網膜に直接的あるいは間接的に作用し、炎症を抑制する働きを持つことが裏付けられた。
網膜疾患の早期診断・治療への応用に期待
今回の研究の成果は、今後の研究や医療応用において重要である。糖尿病網膜症は従来、血管異常が顕著になってから診断されることが多かったが、ミクログリアの過剰な活動を指標とすれば、より早期に病気を発見できる可能性がある。また、生体内で薬の作用を直接観察できるため、治療効果の客観的な評価や新薬の開発にも役立つと考えられる。さらに、この技術は緑内障や加齢黄斑変性といった他の網膜疾患への応用が期待される。
「将来的にはヒトの網膜に対しても応用が進み、非侵襲的な診断法として実際の臨床現場で実用化されることが期待される。網膜は直接観察できる数少ない神経組織であることから、『目を窓口として全身の病気を調べる』という新しい医療の形を切り開く可能性がある」と、研究グループは述べている。
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・神戸大学 プレスリリース


