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「平凡な」日常

2013年9月12日

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祖父の死から12年が経った2007年。
私は、はじめて在宅ホスピスを行う訪問看護の扉をたたきました。

タバコを吸って、焼酎を飲んで過ごしていた80歳を過ぎた祖父にとって、
加療のための入院はあまりにも過酷で無意味だったという体験が
看護師になったきっかけでした。

大学病院で勤務した経験しかない私は、在宅ホスピスの現場では
「入院・治療を希望しません」「自宅で最期まで過ごします」という
意思表示をきちんとできる患者さんが、
迷うことなく静かな生活を送っているのではないかと思っていました。

しかし、実は人の最期とはもっと生々しいものでした。
多くの患者さんは「入院したらタバコが吸えねぇんだよ」
「あの医者と看護師が頭にきた」「抗がん剤はもう十分です」と。
意思表示はむしろ、積極的な治療負担に対する拒否や施設における
集団生活の拒否による声もたくさんきかれました。
ここからは医療技術や同意書なんかのレベルではなく、
納得や理解や信頼関係に意味がありそうだと感じました。

ある70代の男性患者さんのところへ訪問している際、こう質問したことがあります。
「毎日、退屈しませんか?ご旅行や、
ご家族と外食しに行けるほど痛みは取れてきたはずですが」と。
医療用麻薬が十分な効果を上げているため、
看護師としては患者さんにやりたいことを行ってもらいたい…
という思いから出た言葉でした。

しかし、この患者さんの答えは当時の私にとっては意外なものでした。
「毎日が来ることがありがたいんだよ。
今日も目を明けたら、まだこの世だなって確認するんだ」
と笑いながら話すのです。

他の患者さんにも同じような話をしたときに、
「今年の桜までは(体が)もったね。ここから見えるので十分」
「朝ね、孫が部屋を通り掛けに声かけてくれるんだ。それがいいんだよ」
など日常にまつわるものばかり。

残された時間の少ない患者さんは、
「平凡な日常」が私たちよりもっと鮮明で色鮮やかに見えている
ということがよくわかりました。

さらにもうひとつ、気づかせていただいたことがあります。
残された時間の差こそあれ、限りある時間であることは、
がん患者さんも私たちも同じではありませんか。
暑い夏、寒い冬、うるさいテレビ、仕事に追われる毎日・・・それらすべてが貴重だと。

末期がんのケアは悲しいことやつらいことばかりではなく、
次へ何かを託すことのできる貴重な時間でもあることを知った機会でした。

賢見 卓也
看護師
プロフィール
兵庫県立看護大学卒業。日本大学大学院グローバルビジネス研究科卒業。看護師。MBA。 訪問看護パリアン 在宅ホスピス看護師。株式会社トロップス 代表取締役。NPO法人がんと暮らしを考える会 理事長。

医療法人社団パリアン http://www.pallium.co.jp/
株式会社トロップス http://www.troppus.co.jp/
NPO法人がんと暮らしを考える会 http://www.gankura.org/